ゼミブログ
世界史チャレンジ問題④|高田駅前教室
2021年09月01日
【世界史の問題にチャレンジしてみよう!】◎新潟駅・東三条駅・六日町駅・長岡駅・上越高田駅・仙台駅の塾、真友ゼミの講師陣による大学受験勉強方法ブログ!
激ムズ☆世界史チャレンジ!! 第4回
第4回 アジア世界 ~問題編~
インドにおける仏教の成立から衰退までの歴史、および周辺地域に対するその影響について、以下の語句を用いて400字以内で説明せよ。なお、解答文中では指定された語句に下線を施す事。
アショーカ王 ガンダーラ クシャトリヤ ナーランダー僧院 ボロブドゥール
第4回 アジア世界 ~解答編~
今回もまた筑波大学からの出題です。
筑波の論述はたまに「教科書レベル」なんて言われますが、教科書レベルのことを自力で書く問題なので、普通に超ハードです(キツイ!)
そして、それだからこそ血肉になる!という訳で解説、行ってみよう!
古代インドの宗教…まずバラモン教があった …バラモン(司祭)が他カーストを支配
釈迦「バラモンの権威?それで救われるなら苦労はせんわ!」…B.C.5C 仏教創始 …バラモン教の聖典ヴェーダの権威を認めない →バラモン支配に不満を持ったクシャトリヤ、ヴァイシャの支持 |
ちなみに、インドのカーストは以下の通りです。忘れた人は思い出しましょう!
ヒンドゥー語名 | 日本語訳 |
バラモン | 司祭 |
クシャトリヤ | 王侯貴族、戦士 |
ヴァイシャ | 町人、市民 |
シュードラ | 隷属民 |
これに加え、最下層の不可触賤民もいる。 |
これで仏教の起こりはOK!
ここから暫くは、時系列で書いていけばOKです!
インドにおける仏教の歴史 ①マウリヤ朝 アショーカ王…I ♡ 仏教 →第3回仏典結集 スリランカ布教
②クシャーナ朝 バクトリア(中央アジア)のギリシア系住民と接触 →仏像制作 in ガンダーラ地方 ※アレクサンドロス大王の東方遠征で バクトリアまでギリシア人は到達していた
③グプタ朝 仏像が独自様式に …グプタ様式 ナーランダー僧院建立もグプタ朝期。
④ヴァルダナ朝期 仏教は難解なものに →民衆の支持はヒンドゥー教へ ヒンドゥー教側からも仏教への攻撃 =バクティ運動 ※ヒンドゥー教=バラモン教+民間信仰、です! | 周辺地域への影響 ①スリランカ布教
③このころ、東晋の法顕がインドに来る →『仏国記』
④このころ、唐の玄奘がインドに来る →『大唐西域記』 |
さて、仏教はインドではヴァルダナ朝期に廃れました…が、周辺地域では全然廃れてないことはご存じの通り!(日本だけでもどんだけお寺(仏教寺院)あるんだよって話ですよね)
なので、それを書いていきます。
周辺地域における仏教の歴史 ①中国 …上記④に書いた通り、中国からは多くの僧が仏教を学びに来る (他にも『南海帰寄内法伝』を記した義浄も覚えておきましょう) =めっちゃ受容された(儒教・道教並み!) ②東南アジア …シャイレンドラ朝 (ジャワ島) :仏教寺院ボロブドゥール建立 古マタラム王国 (ジャワ島) :プランバナン寺院群 シュリーヴィジャヤ(スマトラ島):パレンバンで仏教盛ん 義浄が『南海帰寄内法伝』を記したのはここ |
ここまでまとめれば、あとは書くだけです!
解答
前5世紀に釈迦が興した仏教は、バラモンの支配に不満を持つクシャトリヤ、ヴァイシャの支持を集め広まった。マウリヤ朝期には、アショーカ王が仏教に帰依し、第3回仏典結集や、スリランカへの布教が行われた。クシャーナ朝期になると、バクトリアのギリシア系住民との接触から仏像が作られ、その様式は地名からガンダーラ様式と呼ばれるようになった。グプタ朝期には独自様式のグプタ様式仏像が作られたほか、ナーランダー僧院が建立され仏典研究が行われるようになったが、仏教は次第に難解化し民衆の支持を失った。バラモン教と民間信仰を融合したヒンドゥー教がバクティ運動を起こし仏教を攻撃したこともあり、インドでは仏教は衰退した。しかし東~東南アジアでは仏教は受容され、中国からは法顕・玄奘・義浄らが仏教を学びにインドを訪れ、シュリーヴィジャヤのパレンバンは仏教都市として栄え、ジャワ島ではボロブドゥールなど仏教寺院が建立された。