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世界史チャレンジ問題⑪|上越高田駅前教室

2021年10月29日

【世界史の問題にチャレンジしてみよう!】◎新潟駅・東三条駅・六日町駅・長岡駅・上越高田駅・仙台駅の塾、真友ゼミの講師陣による大学受験勉強方法ブログ!

 

 

激ムズ☆世界史チャレンジ!! 第11

 

 

 

第11回 中世ヨーロッパ② ~問題編~

 

 

問1 ビザンツ帝国の歴史について記された以下の文章の、空欄[ 1 ]~[ 6 ]に当てはまる語を答えよ。

 

(1)アラブ勢力の侵攻により、ビザンツ帝国は領土を相次いで喪失した。674年から718年にかけて、ビザンツ帝国は、[ 1 ]朝のアラブ軍にコンスタンティノープルの二度の包囲を許してしまった。二度目の包囲の際にアラブ軍を撃退し、帝国の危機を救ったのが、小アジアの軍管区長官出身の[ 2 ]であった。彼はアラブ軍を撃退するとコンスタンティノープルにやってきて、自ら皇帝の座についた。

 

(2)9世紀後半に始まる[ 3 ]朝は第一次ブルガリア帝国を併合し、以降ビザンツ帝国の前には繁栄と拡大の時代が開け、それは11世紀初頭まで続くこととなる。コンスタンティノープルは、常に経済の中心地として繁栄し続け、帝国で用いられた[ 4 ]金貨は、ヨーロッパから西アジアに至る広い地域で流通した。

 

(3)1071年、小アジアの[ 5 ]の戦いで、ビザンツ軍がセルジューク朝のトルコ軍に惨敗すると、小アジアの領土は事実上失われ、ビザンツ帝国は大きな痛手をこうむることとなった。そのような脅威に対抗するため、1095年、時の皇帝[ 6 ]は、ローマ教皇を通して西方に援軍を求めた。また、ビザンツ帝国は、後に自らを脅かすヴェネツィア共和国への譲歩を強いられた。

 

 

 

問2 以下の設問に解答せよ。

 

(1)コンスタンティヌス帝の伝記を執筆し、さらに『年代記』を書いた人物は誰か。

 

(2)カルタゴと並んでビザンツ帝国の総督府が置かれていた地で、ユスティニアヌス1世のモザイク画のあるサン=ヴィターレ聖堂が所在する地はどこか。

 

(3)551年、ビザンツ帝国はある国から領土を奪って、帝国領の大半を回復する。この領土を奪われた国が、6世紀後半から8世紀初頭まで首都としていたのはどこか。

 

(4)6世紀初頭、コンスタンティノープルをはじめ、ビザンツ帝国内のいくつかの地に総主教座がおかれていたが、この内、かつてセレウコス朝シリアの首都であったのはどこか。

 

(5)アラブ勢力は、636年にシリア属州、642年にエジプト属州の支配権をビザンツ帝国から奪い取った。このときのカリフは誰か。

 

(6)11世紀以降、軍事奉仕を条件として公有地の管理権及び徴税権を貴族層に付与する、プロノイア制がビザンツ帝国では発展したが、この制度は後に、オスマン帝国のティマール制に影響を与えたと言われている。ティマール制において徴税権を認められたものは誰か。

 

 

 

 

 

 

 

第11回 中世ヨーロッパ② ~解答編 前半~

 

 

今回の出題校は久々の私大、早稲田と並ぶ私学の雄・慶應義塾大学(改題)です。
元の問題は選択問題だったのですが、せっかくなので記述式に変えてみました。

 

「無駄に難易度上げないでください」という声が聞こえてきそうですがご安心を。難易度はほぼ変わっていません。なにせ元が既に67問題なので(笑)

 

私大入試の特徴は、超マニアックな知識を問われること!個々の知識よりタテヨコの繋がりを重視する国公立の論述とは対照的であることが多いです。

 

↑圧巻の67択(笑)

 

 

 

今回は問1の解説を行います。

それでは、早速いってみましょう!

 

 

 

 

問1-[ 1 ]

 

まず、イスラーム勢力の歴史をチェックしておきましょう。

 

年号

できごと

時代区分

610

イスラーム教布教開始

ムハンマド時代

 

622

ヒジュラ(聖遷)

630

メッカ制圧

632

ムハンマド死去

アブー=バクル 初代正統カリフに

正統カリフ時代

634

ウマル     第2代正統カリフに

644

ウスマーン   第3代正統カリフに

656

アリー     第4代正統カリフに

661

ムアーウィヤ  カリフに

ウマイヤ朝

750

アッバース革命

アブー=アルアッバース カリフに

アッバース朝

 

 

 

設問で聞かれているのは、「674年~718にコンスタンティノープルを包囲したイスラーム勢力は[ 1 ]朝である」ということです。

 

この期間は、バッチリウマイヤ朝成立~アッバース朝成立までの間に収まっています。
なので答えはウマイヤ朝です。

 

 

 

問1-[ 2 ]

 

ウマイヤ朝によるコンスタンティノープル包囲(第1次:674年 byムアーウィヤ、第2次:717~718年)は、教科書でもほとんど触れられず(専ら西ゴート王国打倒、フランク王国との対決(トゥール=ポワティエ間の戦い)ばかり)、中堅以下の大学で問われることはほとんどありません。

 

従って、この問題は捨てちゃってもいい…とするのは実はめっちゃもったいないです!

 

ヒントは、この人物がアラブ勢力をやっつけた後皇帝になったということ

 

 

教科書には726年に「ビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を出した」と書いてあります。

 

そのことを踏まえると…「718年にアラブ勢力をやっつけて皇帝に即位し、8年後の726年に聖像禁止令を出すのはワンチャンあるんじゃないか」と類推することができます。本問はまさしくそれを問う問題でした。なので答えはレオン3です(カール大帝に戴冠したローマ教皇レオ3世とは別人ですよ!)

 

 

 

 

問1-[ 3 ],[ 4 ]

 

この辺は完全に暗記するしかない所です。

…が、少しでも覚えやすいように、歴史の流れをかいつまんで説明します。

 

 

6世紀…ユスティニアヌス帝期に最大版図

    ゲルマン系の王国をいくつかぶっ潰す

     例:ヴァンダル王国@北アフリカ

       東ゴート王国 @イタリア

       加えて、西ゴート@スペインからも領土を奪う

しかしユスティニアヌス死後に領土縮小。。。

 

 

7世紀…イスラーム勢力(正統カリフ時代)にシリア、エジプトを奪われる

    バルカン半島では、ブルガリアに圧迫される

 

その後、国力を回復する時期が来る

この時期の王朝がマケドニア朝。創始者はバシレイオス1

マケドニア朝は、7世紀にいぢめられたブルガリアに反撃、征服します。

 

 

国力を回復したビザンツの首都コンスタンティノープルは経済の中心地として栄え、そこで流通したノミスマ金貨は、現代でいうドルの如き存在感をもち、全ヨーロッパ(+西アジア)で使用されました。

 

 

よって[ 3 ]=マケドニア、[ 4 ]=ノミスマです。

 

 

 

 

 

問1-[ 5 ],[ 6 ]

 

 

マケドニア朝時代に盛り返したビザンツ帝国でしたが、11世紀になると、イスラームの強国セルジューク朝により圧迫されるようになりました。

 

 →1071年:マンジケルト(マラーズギルド)の戦い

       …小アジア(現在のトルコ)でバトル勃発! →ビザンツ帝国ボロ負け…。

 

これはピンチ!という事で、ビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバヌス2(こっちのほうがメジャー…)を通じて神聖ローマ帝国にヘルプを要請しました。

 →1095年:クレルモン宗教会議 …十字軍派遣の契機に!

 

という訳で、[ 5 ]=マンジケルト(マラーズギルド)、[ 6 ]=アレクシオス1です!

 

 

 

 

 

 

今回はここまでにしましょう(文字数がハンパないので…)

 

次回は問2からはじめます。乞うご期待!

 

 

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