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世界史チャレンジ問題⑩|上越高田駅前教室
2021年10月21日
【世界史の問題にチャレンジしてみよう!】◎新潟駅・東三条駅・六日町駅・長岡駅・上越高田駅・仙台駅の塾、真友ゼミの講師陣による大学受験勉強方法ブログ!
激ムズ☆世界史チャレンジ!! 第10回
第10回 中世ヨーロッパ① ~問題編~
以下の文章を読み、下記の設問に答えよ。
(a)アジア系のフン人がゲルマン人を圧迫したことが、いわゆるゲルマン人の大移動を引き起こすきっかけとなった。西ゴートを始め多くのゲルマン人が(b)ローマ帝国の領内に移動して建国したが、着実に勢力を伸ばしていったのはフランク人であった。フランク人は(c)5世紀後半に統一され、6世紀半ばには全ガリアを支配下に収めた。8世紀には、イスラーム教徒がイベリア半島を征服してピレネー山脈を越えて侵入してきたが、(d)これを退け、キリスト教徒の世界を維持した。この後、フランク人はローマ教会との結びつきを強めていき、(e)800年には、カールがローマ教皇の手によってローマ皇帝として戴冠する。だが、カール大帝の死後、フランク王国は分裂し、現在のフランス、ドイツ、イタリアへと発展していくことになった。
問1 下線部(a)について、5世紀以降のフン人の動向を簡潔に記せ。
問2 下線部(b)について、西ローマ帝国を滅ぼした人物の名を記せ。
問3 下線部(c)について、フランク人を統一した人物の名とその家名を記せ。また、彼はキリスト教の何派に改宗したか記せ。
問4 下線部(d)について、この時の戦いの呼称を記せ。
問5 下線部(e)について、この出来事の歴史的意義を記せ。また、カールに帝冠を授けた皇帝の名を記せ。
第10回 中世ヨーロッパ① ~解答編~
はい、激ムズ☆世界史チャレンジ!第10回、はじまりました!
今回は真友ゼミ上越高田校生の志望校ランキングトップ!新潟大学の問題を解説します!
①ゲルマン人の大移動
4世紀…東方よりアジア系フン人がヨーロッパに襲来!
→アッティラ王のもと、パンノニア平原(現ハンガリー)に大帝国を作る
→さらに西に移動しガリア(現フランス)を襲撃!
でも451年、カタラウヌムの戦いで西ローマ帝国に惨敗・・・。
フン人の襲来により、平和に暮らしていたゲルマン人たちは大パニック!!!
→こわ~いフン人から逃れるべく、民族レベルで大移動を開始!
ゲルマン人がどんなふうに移動したかの図はコチラ!!!
フン人と合わせて、合計8つの民族がものすごい勢いで移動しています。
…各民族がどこから来て、どこに行ったかを完全に暗記する必要は、新潟大レベルでは必要ありません。しかし、難関私大を目指す場合だと必要です(青山学院大学で出題されました)。
可能であれば丸暗記、もし無理でも各民族がどこに国を建てたかを覚えておくとよいでしょう。
民族名 | 建国地 | トリビア |
①フン人 | パンノニア平原 (現ハンガリー) |
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②西ゴート人 | 現スペイン | 711年、イスラーム勢力により滅亡。 |
③東ゴート人 | 現イタリア |
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④フランク人 | 現フランス | 最も勢力を伸ばしたゲルマン人。後述。 |
⑤アングロ=サクソン人 | 現イギリス |
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⑥ヴァンダル人 | カルタゴ (現北アフリカ・チュニジア) | アフリカのカルタゴまで渡った。 455年にローマで略奪を働いたため、現代でも野蛮人の代名詞扱いされている(※vandalism=破壊行為) |
⑦ブルグンド人 | 現フランス東部 (ブルゴーニュ地方) | ブルグンドは、フランス語でブルゴーニュ。 |
⑧ランゴバルド人 | 現イタリア | 後に、カロリング朝のピピンにより領地のラヴェンナを奪われ、教皇に寄進されてしまう。 |
②ローマ帝国東西分裂~西ローマ滅亡
…と、ゲルマン人がローマ帝国に押し寄せる
こうした中、395年にローマ帝国は東西に分裂。
このうち、西ローマ帝国は476年に、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルによって倒される。
(一方、東ローマは盛衰を繰り返しながら、1453年にオスマン帝国に倒されるまで存続)
③フランク王国の台頭(メロヴィング朝)
ゲルマン人のうち、ガリア(現フランス)に国を建てたのがフランク人です。
481年…クローヴィス(メロヴィング家)が建国 =メロヴィング朝
→(旧)ローマ帝国における正統派であるアタナシウス派キリスト教に改宗
※他のゲルマン人…異端派であるアリウス派を信仰
メロヴィング朝…6世紀にはブルグンド(ブルゴーニュ)王国をやっつける →全ガリア統一!
8世紀になると、西ゴート王国を倒したイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が襲来!
→732年、トゥール=ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力撃退!
この時指揮を執ったのが、王の側近・宮宰カール=マルテルでした。
④フランク王国の絶頂期(カロリング朝)
カール=マルテルの子ピピン…メロヴィング家の王を操り人形にして実権を握る
しかしある日「王様(笑)より俺の方が王にふさわしくね?」と気づく
→ローマ教皇「それなw」
…751年、教皇の支持のもとピピンが新王として即位!
この王朝を、ピピンの家名からカロリング朝といいます。
ピピン…↑の恩を教皇に返す
→現イタリアに位置するランゴバルド王国を攻撃
ラヴェンナ地方を奪い、教皇に寄進(プレゼント) =ピピンの寄進
その後、ピピンの子カール(大帝)が各地を征服!
①ランゴバルド王国を滅ぼす
②ザクセン(北ドイツ)を討伐
③アヴァール人(アジア系)の侵入を撃退
④後ウマイヤ朝(イベリア半島)への遠征
また、一方で文化事業も盛んに(カロリング=ルネサンス)
…カロリング朝、文武両面で躍進!
一方、ローマでは教皇レオ3世がテロに遭いフルボッコに!
(貧民出身だったため反発する者も多かった。
余談ですが聖像禁止令のレオン3世と間違えないように!)
→命からがら逃げ出し、カールに助けを求める
…これを受け800年、カールはレオ3世から戴冠されました。
これにより、西欧世界は、東のビザンツ帝国から独立!
ローマ・ゲルマンの複合した文化圏となりました。
解答
問1:
フン人はパンノニアを中心に勢力を拡大し、アッティラ王が最盛期を形成。大帝国をつくり、ガリアを侵攻するなどしたが、451年にカタラウヌムの戦いに敗れ勢力を縮小した。
問2:オドアケル
問3:クローヴィス、メロヴィング家、アタナシウス派
問4:トゥール=ポワティエ間の戦い
問5:
意義:ローマ教皇に承認される皇帝権が成立することで、西欧世界がビザンツ帝国から政治・宗教両面で自立。さらに、ローマ・ゲルマンの要素の複合した文化圏の形成が決定づけられた。
教皇の名:レオ3世